ベル・ジュバンス基礎学講座
第一回  山崎伊久江先生とベルジュバンス

弱酸性ウェーブローション ベルジュバンスが出来るまでの軌跡

                                         〜〜〜下の黒文字は私個人の感想です。
  その1 山崎伊久江先生、美容師への歩み
 法院様が、それまで学校教師を目標にしていた山崎先生に対して
「あなたは学校の先生よりも美容師におなりなさい、あなたが美容師になると大勢の人が喜ぶ事があります。」
 この一言が後の山崎先生の人生の方向は決った。   
     
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 当時は美容師の事を「髪結い」と呼んでいたのですが「美容師」と言われた法院様の一言には驚きです。
   そして、我々が今、弱酸性美容ベルジュバンスをさせて頂けるのもこの一言のおかげなのですね。

その2 お茶の水美容女子学校の教え
お茶の水美容女子学校の教育は、科学に対する新しい美容技術のとば口を開いていた点でも、
第一等のものだった。
 山崎伊久江先生が長く大切にした同校長の言葉は
私が教えている事は今のものだ、
お前達が一人前になる十年、二十年先の時代のものを教えてやる事は出来ない。
 これからお前達が自分の手で学んでいかなければ行かない事は、
生理学、科学、物理学、医学など幅広い分野である。
それが本質的な美の道である
というものであった。
 この一言の意に山崎伊久江先生は着眼しチャンスをものにしていく。

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    今の美容業が求めているものを約半世紀以上も前から教えていたのですねーーすごい事だと思います。

その3 山崎伊久江先生と美容業、そしてコールドパーマ・・・
山崎先生が美容師になり、時代は「髪結い」から「美容師」へと、
そして、さらに電気パーマからコールドパーマへと大きく変化していき、
戦後の科学の時代へと大きく変遷を遂げようとしている。

 山崎先生の目は当然の様にコールドパーマ液に向いていく、
「今使っている液が最高であるはずが無い、もっと改良するにはどうしたら良いのか?
の液は一体髪にどのような作用を与えているのだろうか??」
などを疑問に思うようになり、
 仕事のご縁で東大教授の奥様とご縁があり液を持って東大へと出かけていったのである。
(東大教授とのご縁が出来るまでには沢山の苦労話がありますがここでは省略させていただきました)
 
ここで直ぐに簡単な分析をしてもらい、教授はこんな事を山崎先生に語った、
「山崎さん、美容業界という所はずいぶん恐ろしい物を使っているのですね。
こんな物を使って肝臓を悪くしませんか?」

    山崎先生は
「は・・・?」と詰まって二の句を告げなかった。 
教授はさらに続けて
「こんな物を使っているんだったら、うちの奴をお宅へはやれませんなー」と言われました。
 教授にとっては軽く言ったつもりだったのであろうが、山崎先生にとこれほどのショックは無かった。
 
飲みもしない液が、髪につけるだけのものがなぜ肝臓を悪くするのか???・・・
今使っているパーマ液が健康に非常に良くない事を専門家に指摘された事は、
「人間の皮膚や毛髪は弱酸性の蛋白細胞で構成されている」
「アルカリ性に非常に弱い皮膚や毛髪にあれだけ強いアルカリ性(ph9.0〜9.7)のパーマ液を使うのか?」

この言葉は山崎先生に冷や水を浴びせられたような衝撃を与えた。

 昭和23年・・山崎伊久江先生がベルジュバンス研究への第一歩へとなるエピソードです。

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ベルジュバンス誕生秘話での有名なエピソードです。
この話がなかったらベルジュバンスはこの世に誕生しなかったかも!

その4 パーマ液の研究と開発 そして苦悩と確答
山崎伊久江先生はアルカリパーマに疑問を持ち弱酸性パーマの研究に取り組んでいました。
 しかし、ある美容専門家がこう言いました。
「アルカリパーマ液を弱酸性にするなんて、太陽を西から昇らせるのと同じことだよ。」
「ph9.0以上でないと毛髪に作用しない、酸性コールドなど絶対不可能」

アルカリ性でなければ、パーマはかからない。酸性のパーマ液などは絶対に無理というのが
当時の世界共通の通説でした。

「美容師というのはヘアスタイルを作ってあげればいいのよ。」
と忠告してくれる人もいました。
実際、昼は髪をセットしてお客様を相手にして夜は夜で無我夢中で毛髪の勉強をして
良い妻とかやさしい母親とはほど遠いありさまでした。
「私はなぜこんなに苦しんでいるんだろう。もうこんな研究は、やめてしまえ。」
「美容師は美しいヘアスタイルだけうちこんでいればいいんだ。」
そう思った事が何十回あったでしょうか。

しかし、以前の東大教授の言葉もあり
「お前は、お客様の老化現象促進に手を貸す美容師に甘んじていてそれでいいのか?」
という声が頭からこびりついて離れなかったのです。
こうして自問自答を幾度も繰り返しながら、一歩一歩研究を積み重ねてきました。

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感想というより余談になりますが、
私は美容学校に通っていた時からベルジュバンスの講習を受けていました。
ある日の美容学校でのテストで
「パーマ液はアルカリ性でなければならない!!」と言う問題が出まして
迷わず×と答えてマイナス点を食らってしまいました。
今考えてみると断固抗議するべきだったと思ってます。m(_ _)m

山崎伊久江先生に対して大変失礼な問題であり回答であると今は思います。
(十年前のエピソードですが今はどうなっているのでしょうねー・・・。)

その5 弱酸性ウェーブローション 
   「人間に対してのプラスになることは、断然弱酸性である」ということが
 山崎伊久江先生「コールドパーマ液はアルカリ性でなければならない」という
世界的通説に対する挑戦への原動力であった。

やがて十年という月日がたち、その間には幾度もの挫折と失敗を味わったが、
様々な専門家の教授との奇跡的な出会い、そして何と言っても山崎伊久江
先生の情熱と努力により
この世に弱酸性ウェーブローション ベルジュバンスは生まれようとしていました。

昭和30年代中盤の話です。
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この間にも本当に様々なご苦労とエピソードがありますが、
ここでは省略させていただきます。m(_ _)mごめんなさい


その6 世界初の成功
ベルジュバンス開発も近い昭和36年、山崎伊久江先生一つの大きな不安があったのです。
それは
「今まで自分が苦しい思いをして続けてきた弱酸性パーマが外国で、すでに開発されているのではないか」
というものでした。。じっとしていられない気分になって、主人とヨーロッパに向かって旅立ちました。

私達はパリを根拠地として三ヶ月ほどヨーロッパに滞在しました。
スイスでもイギリスでもフランスでも私はこんな風にいわれました。

「なに、日本からきて今頃弱酸性パーマ液の研究だって? そんなのはヨーロッパではもう十年も前に終わってる。
あなたがいくら研究を重ねても酸性では絶対にパーマはかからないという結論がでているんだから。」

「そりゃ酸性パーマ液があったとすれば髪は痛まないはずだし、体のためにはいいだろうが
無理なんですよ。気の毒だけどあきらめたほうがいいですよ。」

こうした言葉を各国で聞いたとたん、私はうれしくなりました。
この時点で弱酸性パーマ液の開発ということが前人未踏の価値のある仕事だということがわかったからです。

さまざまな困難を経て、
開発されたこの弱酸性パーマ液は不可能だといわれていた酸性のパーマ液を可能にしたという意味では、
まさしく画期的なものでした。タンパク質を膨潤させずに、髪の痛まない世界でも初めてのパーマ液だったのです。

世界初の弱酸性ウェーブローション ベル・ジュバンスが産声を上げたのは、
この翌年の昭和37年の話です。

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このヨーロッパ旅行の際にも様々なエピソードがありますが
ここでは省略させていただきます。本当にごめんなさいm(_ _)m


その7 名前の誕生について
弱酸性パーマ液の研究でばったりと壁に突き当たり、毛髪研究の進んでいるヨーロッパへ視察に旅立ちました。
ヨーロッパ滞在中、フランソワ・ベルチエという青年と知り合いになり何年も昔からの知り合いのように、面倒をみてもらいました。
とても親切で気持ちの良い青年と親子関係にも似た間がらを記念してフランス語で命名しようということになり、
彼は私達の心境を知っていたので 
「ベルジュバンス」日本語で「美しく、若々しく」と命名しました。
美しい名前とともに私の願いをこめたとても深い意味をもっているのです。
その8 弱酸性ウェーブローション ベル・ジュバンス
こうして山崎伊久江先生の努力と情熱により完成した弱酸性ウェーブローション ベルジュバンは、
発売されて約半世紀たつ今でも研究、開発は進みより良く進化しています。

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ベルジュバンスならではのリラクゼーション(癒し効果)に着目して、
ベルジュバンス ヘアーエステ(トリートメント)も大いにオススメしています。
まだ、体験した事のない方はぜひとも体験してみて下さい。

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今回、このコーナーを作成するにあたり、昭和59年発行「ベルジュバンス20年史」を参考にさせていただきました。
山崎伊久江先生の努力と情熱で完成したベルジュバンスの誕生秘話を収録している本です。


私達アルス美容院スタッフ一同も山崎伊久江先生の努力と情熱にお答えできる様に
お客様一人一人に心をこめてベルジュバンスをオススメして、
心地よく体験していただけるように努力していきたいと思っています。